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大野薫という男

私の実家、鵠沼の小田急の線路のそば。
いつもいろんな店舗ができてはあっと言う間に潰れる場所があった。
私が高校生だったある日、その角地の場所にまた新しい店ができた。
今度はサーフショップ。
これはいいかも、と思ったなぁ。
”パイナップル ベティーズ”という店。
大野薫という男がオーナー。
名前は知っていた。サーフィン業界でけっこう嫌われていたから。
お店に入ってみてびっくり。それまでのサーフショップのださい感じとは全く違っておしゃれなのだったんだもん。そしてサーファーなのにとってもおしゃれな大野薫ともすぐに仲良しになった。
毎日遊びに行くようになり、毎日一緒にサーフィンし、ほとんど毎日一緒に飲みまくった。

高校を卒業するとベティーズで店番をするようになった。
彼の事はジジィと呼んでました。(愛情込めてだけど)
最初はただのお店番だけだったが、そのうちにデザインなんかも手伝わされるようになったりした。ジジィは嫌われ者なだけに口が悪いし、自己中心的な性格と自分大好きなのの度が過ぎて、私もよくケンカしました。

その頃まだ高校生だった池田潤は詰め襟の制服着て毎日学校のあとに来ていた。今では日本を代表するロングボーダー、そしてサーフィンジャーナリスト、それだけでなく映画を作ったりといろんなことをして素晴らしいマルチタレントサーファーだ。
中ボウだったショーロク、あとテツなんかもこのお店に来ていたのだな。

ジジィと私はケンカしながらも本当に仲良くうまくやっていた。
私はいろんなことを相談したし、いろんなことを彼から学んだ。こうしてアメリカに出てきたのだって、少なからず彼の影響があったから。先ず自分を好きにならなくちゃという考えだって彼から教わったようなもの。でかい事言うのも時には大切だと言う事も教わった。サーフィンだけでなくスケボーにも力を入れていたし、若い子を育てるのには、決してやさしくではないけど一生懸命だったし、みんなをとってもかわいがっていた。

でも最後はすさまじい大喧嘩をして、私は店を辞め、ジジィとハングアウトする事もなくなった。
お店は私よりも数倍できのいい、ルックスもいい、性格もいい河村マミが切り盛りして益々盛り上がっていた。

しばらくの間、私とジジィは口もきかなかったけど、やっぱり又仲良くなった。
私がベニスに住み始めた事もすごく喜んでいたし、年に何回もこっちに来た。

それでも月日が流れ、私も子供ができたり、ジジィも結婚したりですっかり会わなくなってしまった。たまに会っても憎たらしい事ばかり言うのでケッと思っていたのだ。
そして99年夏に突然死んでしまったのだ。
もう一生会えないんだ。。
超憎たらしい、憎々しい台詞も聞けない。

大人になった私と、きっとまだ子供のままのジジィと飲みながらいろいろ語りたかったなぁ。

最近ジュンちゃんや、ショーロクともブログで久しぶりにまた繋がったので昔々のことを思い出してつい長々と書いてしまった。

古い写真。ジジィとババァ(ジジィのお母さんね)と若い私。
大野薫という男_c0048504_14355835.jpg

by maivenice | 2005-12-09 14:49 | friends


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